〈略年表〉1888(明治21)年 2月 東根小屋町に講義所設置。8月、秋田美以教
                    会設立。以後、長町、西根小屋町、保戸野中
                    町、中谷地町、保戸野川反後町、と移転。
     1908(明治41)年 9月 日本メソヂスト秋田教会に名称変更。
     1910(明治43)年 2月 土手長町中横町2番地に移転。
     1912(明治45)年 3月 亀ノ町本新町に土地購入。
     1912(大正 元)年 9月 牧師館建築。
     1927(昭和 2)年10月 現会堂建築。
     1941(昭和16)年 6月 日本基督教団設立−秋田楢山教会と改称。

 奥羽の地弘前に、メソヂスト教会(現・弘前教会)が設立されたのは1875年(明治
8)10月2日であった。アメリカ・メソヂスト監督教会(美以教会)最初の宣教師が、
横浜に上陸してからわずか3年後のことである。

 1872年(明治5)、横浜の改革派教会宣教師ブラウン、バラより洗礼を受けた本多
庸一は1874年(明治7)に帰郷、東奥義塾英語教師であった美以教会宣教師ジョン・
イング夫妻と協力して布教に努める。以来、弘前を中心に黒石、青森、藤崎(以上青森)
そして大館(秋田)に伝道の手が広げられていった。

 秋田は佐竹藩の旧城下町で、仙台とともにキリシタンの事跡に富むところである。18
84年(明治17)5月、基督教会(デサイプルス派)最初の宣教師ガルスト・スミス夫
妻が、この地を日本伝道の発足点と定め、土崎港より上陸して、伝道を開始した(現・秋
田高陽教会)。

 同派の持論である浸礼を受けない者は救われないとした主張に異を唱えた他派の信者は
別に集会を設けることを決し、1888年(明治21)2月11日、南秋田郡長土居通豫
(組合教会員)宅に、同夫人カメ子(組合教会員)、船木政教(青森美以教会員)、尾泉
一庵(山形美以教会員)、伊藤テツ子(函館教会員)、伊藤静江子(一致教会員)、竹内
蝶子(一致教会員)等集まり、東根小屋町に講義所を設ける。ここに秋田美以教会の設立
を見る。

 その後1907年、日本におけるメソヂスト三派合同(米国のメソヂスト監督教会、カ
ナダのメソヂスト教会、米国の南メソヂスト監督教会)により、「日本メソヂスト秋田教
会」(1908年〜1941年)と改称、さらに1940年に実施された「宗教団体法」
により、日本におけるプロテスタント30余派が合同(1941年6月24日)するにお
よんで、「日本基督教団秋田楢山教会」と改称して今日に至る。

 この間、下浜教会、八郎潟教会、秋田飯島教会、秋田桜教会の設立に深く関わる。また
日本キリスト教婦人矯風会秋田支部と連携し、「社会福祉法人秋田婦人ホーム」(母子生
活支援センター)の設立、運営に関わり、そこから「城南園」(保育所)、「ひばりクラ
ブ」(学童保育)の働きが生まれた。

  
【聖餐と愛餐による世界宣教_地の塩、世の光として生きる】

 こうした沿革をもつ私たちの教会は、「聖餐と愛餐の充実による世界宣教」の主題のも
と、1995年より礼拝改革に取り組み、2002年のアドベントより、新しい礼拝式を
採用しました。そして、2006のアドベントより主日ごとに聖餐式を行なう礼拝となり
ました。「このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主が来られる時に至る
まで、主の死を告げ知らせる」(コリント前11:26)教会の使命を果たすためです。

 毎週主の晩餐に与る礼拝の積み重ねの中で明らかになってきたことがあります。御言葉
の説教と主の晩餐は礼拝の二つの中心ではなく、一つの中心の二つの要素であるというこ
とです。ローマ・カトリック教会の礼拝はミサ(聖餐)に偏重し、プロテスタント諸教会
の礼拝は説教に偏重しています。この歪みを修正し、礼拝は御言葉の説教と主の晩餐の二
つの中心によって成り立つことを意識化して歩んできましたが、その礼拝の積み重ねの中
で御言葉を聞く姿勢に変化が生まれました。この変化の中で次第に確信となっていったの
が、御言葉の説教と主の晩餐は礼拝における二つの中心ではなく、一つの中心であるとい
うことです。言い換えれば、初めにあった言、神と共にあり、神であった言、しかも「肉
となった言」は、「説教=耳で聞く言」であると同時に、「聖餐=目で見る言」です。だ
からこそ第一ヨハネは、「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの
よく見て、手で触れたもの(!)・・・すなわち、命の言」(1:1)と語ることができた
のです。

 この「一つの中心」が、「地の塩、世の光」です。「地の塩、世の光」としてキリスト
者は、神がアブラハムをすべての民の「祝福の源」とされた選びの完成なのです。

 この「一つの中心」が鮮明になることによって、聖餐と愛餐が「一つの中心」の二つの
要素であることもまた鮮明になりました。主イエスが十二使徒との最後の晩餐で制定され
た「主の晩餐」は、主イエスが徴税人や遊女、罪人たちと度々行なわれた食事(愛餐)と
中心を同じくするのです。主の晩餐と愛餐は、人を救う神の愛の使信を誰の目にも最も印
象的な仕方で表現する「一つの中心」の二つの表われなのです。

 そして、教会創立125周年の年(2013年)、わたしたちの教会は常に祈りの課題
であった社会福祉法人「秋田婦人ホーム」を「愛餐」の交わりの重要な構成メンバーであ
ると受けとめ、宣教の最前線に位置づける決断をしました。
 この礼拝における「一つの中心」御言葉の説教と主の晩餐と、教会の使命である「聖餐
と愛餐による世界宣教」が秋田楢山教会の宣教基本方針です。

  
(*伝道師および副牧師)
         *竹内 楠三   (明治21−  22年) 1888−1889
@ 第一代牧師   山田 源次郎  (明治22−  24年) 1889−1891
         *山田 俊八   (  22     年) 1889
A 第二代牧師   津田 義人   (明治24−  27年) 1891−1894
         *水平 三次   (  26−  27年) 1893−1894
         *船木 政教   (  27     年) 1894
B 第三代牧師   澤井 弘之助  (明治27−  32年) 1894−1899
         *内山 すみ   (  29―  30年) 1896−1897
         *関  いわ   (  31     年) 1898
C 第四代牧師   長谷川朝吉   (明治32−  39年) 1899−1906
         *中島 とよ   (  32−  34年) 1899−1901
         *石崎 もと   (  35−  36年) 1902−1903
         *中西 きみ   (  37−  38年) 1904−1905
D 第五代牧師   平川 基    (明治39−大正 2年) 1906−1913
         *坂入 もと   (  39−  42年) 1906−1909
         *古川 きよ   (  44−大正 3年) 1911−1914
       (補)藤田 匡    (  45     年) 1912
E 第六代牧師   坂本 富彌   (大正 2−   5年) 1913−1916
         *篠川 すず   (   4−   7年) 1915−1918
F 第七代牧師   島田 胖    (大正 5−昭和 5年) 1916−1930
         *坂  とよ   (   8     年) 1919
         *田澤 たか   (   9−  10年) 1920−1921
         *谷田 鈴意   (  11−  12年) 1922−1923
         *松野 ウメ   (  13     年) 1924
         *村上 タケ   (  14−昭和 1年) 1925−1926
         *成田 八重   (   2−   5年) 1927−1930
G 第八代牧師   宮之原信次郎  (昭和 5−   8年) 1930−1933
         *真野 榮    (   6−  10年) 1931−1935
H 第九代牧師   亀徳 正臣   (昭和 8−  11年) 1933−1936
I 第十代牧師   土合 竹次郎  (昭和11−  49年) 1936−1974
         *西谷 ゆき   (  11−  12年) 1936−1937
         *千葉 清子   (  13     年) 1938
         *山田 俊子   (  14     年) 1939
         *中原 こと   (  15−  18年) 1940−1943
J 第十一代牧師  櫻井 重宣   (昭和49−平成 7年) 1974−1995(現・茅ヶ崎教会牧師)
         *雲然 俊美   (  59−  63年) 1984−1988(現・秋田桜教会牧師)
         *雲然 真理子  (  59−  63年) 1984−1988(現・秋田桜教会牧師)
K 第十二代牧師  川島 隆一   (平成 7−     ) 1995−

旧牧師館落成記念(1912年)
会堂献堂式(1927年)
日曜学校。教師は吉川信校長
(1928年頃)
五十週年記念(1938年)
クリスマス礼拝(1950年)